グループというもの その2

その1の続きです。

いやあ、久しぶりに読むとなんだか熱くなる…。

 

 

……

 

【九重エンカウンターグループのこと 2.九重での経験】


《グループについて》

 思い返してみると、ファシリテーター・メンバー、10人すべての人たちを、心から尊敬できるような、そんなグループでした。年齢は年下年上ともに幅広いけれど、そのすべてです。

そして、特に前半は「爆笑グループ」という異名をもらうほど、笑いにあふれたグループでした。結構遠いところでやっていたグループにまで、笑い声が聞こえていたらしい…。

浅く~深くまで、それぞれが色々な話をし、聴き、応えました。そこで話された内容は書けないけれど、自分のことを少し。

 

 私は、今回は、今の自分の仕事について、出来れば話したい、聴いてもらいたいと思っていました。今現在、生活が仕事中心になっていて、自分がその価値観のみの中に沈んでしまいそうな危機感があったので、何か、違う視点をいただければ…と思ったのが主な理由です。

とはいえ、流れを変えてまで無理に話すつもりはなかったのですが、何となくそれを言いたい流れになった時、まとまらないながらも話しました。


結果的には、割と時間を多くさいてもらい、様々な人たちからそれぞれの言葉で、本当に色んな観点からのフィードバックをいただきました。


解決はしないことでも、共感してもらえたり、違う立場からの意見がもらえたり、自分の価値観を支持してもらえたり、何よりも、自分の問題なのに、他人がこんなに一生懸命考えてくれているということにとてもうれしく、申し訳なく思ったくらいです。そんな中で、自分への気づき(自己肯定や“個性”の発見など)や、自分の周りの人への気づき(信頼できる人たちと働けている貴重さなど)など、ありがたい発見がたくさんありました。

それら、色んな話をした上での「○○(私)流でいけばいいやん」「PCA(パーソン・センタード・アプローチ)に何故興味があるのかが良くわかったよ」という言葉たちは、自分の今後の歩き方にとても勇気をもらったような気がします。

 

 それから、日程の最後の方で、話すつもりがなかったことも、ポロっと口から出て、自分でも少し驚きました。


自分の深い所からのことは、よっぽどの信頼関係がなくては言いにくいし、かといって普段の人間関係の中では言いにくいこともあります。しかし、安心出来る(と自分では実感した)こういう場で話すことで、やはり楽になることもあるんだなあと思いました。我ながら予期していなかったので、あまり深く入り込むのは避けた言い方になってしまったのですが。

 

メンバーみんながそれぞれの持っていることに関して話をし、みんなでそれをある程度深めるようなグループだったなと思います。毎回さんざん顔を合わしていても、グループの時間になるのはいつも楽しみだったし、食事やセッション後の飲み会の時も、同じグループの人と会うとうれしかったり、安心したり、「仲間」という感覚になりました。

今、思い返しても、10名全員もれることなく一度に思い出せます。


グループで出た話題や発言は、みんなとても貴重で、忘れていくのが本当にもったいないです。でも、何かが自分の中にじわっと広がって残り、自分の行く道を暖めてくれるような、そんな気がしています。

 

《全体について感じたこと》


 スタッフ・メンバー、色んな方々の優しさが、目に見えるところ、見えないところに満ちていました。

この「優しさ」は、私が今回一番感じたことでした。


みんなが無理なく居心地よく過ごせるために、様々な工夫をされていたスタッフの方々、メンバーという参加でありながらも、みんなのためにケーキや様々なお料理を作ってきたり、お酒を持ってきた人たち、もくもくと雪かきをしていた人たち、参加していないのに、色々なものをわざわざ送って来てくれた過去の参加者の方…。

「優しさ」の押し売りではなく、ここでの出会いを本当に大切に思い、自分が心からしたいと思って人に優しくするということ、それで喜んでくれてさらにうれしくなるということ、そしてまた優しくする…という、いい循環が至る所にありました。

私は、その「やさしさ」に気づけたことや、全く気づいていず、後で知ったことなど色々で、特に、後で知ったことなどは、それに気づいていなかった自分の浮つきを、大いに反省し、逆に凹んでしまいました。

 

そう、私は、この期間、何か浮ついていて、自分のことばかり考えていたように思います。

自分がいい経験を出来るだろうか、自分が居心地良く過ごせるだろうか等々…。初参加だからとも思いますが、何か周りが見えていないところが多かったなあと思いました。

しかし、これはグループでも話したのですが、私にとっては、今回は心から「あー楽しかった!」と言える体験でした。


何を「楽しい」と感じるか、それは、本当に人それぞれだと思います。それを、例えば、音楽療法ならば、クライエントさんが、いわゆる「重い障がい」を持っていてもどんな相手でも、「この人の『あー楽しい』と思えるのは何かな」というものを探りつつ見極めつつ、音楽でそれを実現の方向に持っていくという風にも言えるのではないかと思います。私にとって、このエンカウンターグループは、そんな体験の一つだったなと思います。

泣いたり笑ったり、色んな感情を体験したけれど、そんなことをひっくるめて。

グループ内、グループ外、行き帰りひっくるめて。

そうか。まずは、「自分」からかな。そこから周りの人にもっと目を向けられるようになれればと思います。

 

 こういうのに参加すると、九州、それも福岡周辺在住の人が多く、「月例会」というのもあるそうで、「この人たちは、普段でも会おうと思えば会えるんだなあ、いいなあ」と、遠くを憧れる気持ちにどうしてもなってしまいます。そんな気持ちも持ちつつ京都に帰って、仕事がたまっていることを覚悟しながら職場の机に行くと、小さなプレゼントが2つありました。私達をいつも気遣ってくれる年上の講師の先生と、音楽院の同期で講師もしている友人からのクリスマスのお菓子でした。そして、職場の後輩には、居ない間に仕事をたくさん負わせてしまったにも関わらず、私が行きたがっていた九重に行けることになり、本当に喜んでくれていました。九重で、「優しさ」に触れ、それに憧れつつ帰ってきたのですが、そのお手本が、こんな近くにもあったのです。


いつも、このような遠くに行って良い体験をさせてもらい、心から楽しかった後に、「遠くの憧れに近づくには、案外と近くを大切にすることなのかもなあ」ということを感じるのですが、今回は特にそれを感じました。そんな、「近くの大切さ」は、普段は当たり前のように見過ごしてしまうこともあり、「遠くの憧れ」は、それに気づかせてくれる場所でもあるのだなあと思います。

 

 いいことばっかり書いていますね。人でも場所でも、良い所ばかりでなく、悪い所もあるはず…といつも私は意地悪く分析するのですが、今のところエンカウンターグループに関しては悪い所を見つけ出せていません。「恋は盲目」って感じですかね。

 

【これから】

 「エンカウンターグループ」というものにお金や時間をかけて参加して、それでどうするんだ?何につながるんだ?という身もフタもない意見も自分の中にありますが、とりあえず今は行けるものには参加したいなあと思っています。


あそこでの色んな出会いと、そこで起こる色んなことにとても興味があること、自分の精神的健康を保つのに一役買ってくれていること、何よりも、楽しいと自分が思えること…。

今は完全に自分のためですが、そうやっているうちに何か他人にも役に立つような自分を創ることにつながっていけばうれしいなあと、少し欲も持ちつつ、この「出会い」を大切にしていきたいなと思います。

 

載せてもらったブログ→「えみそら♪」ほっこり日記 2011年1月14日・15日

http://blog.goo.ne.jp/re-misora


北田 朋子

      2011.1.10